仕事、世界の始まりから – 創世記2

By greenroom,  David Williamson 

このブログは、https://greenroomblog.org/ と著者よりLIGHT PROJECTに翻訳と配信の許可を得ています。創世記シリーズ8回の2回目の内容です。

創世記の初期の章には、仕事がチームで行われることを示唆する記述がいくつかあります。壮大で無骨な個人主義や独立性、自律性はここにはありません。

チームワークの必要性は、創世記2章5節の「大地を耕す人もまだいなかった」という言葉に端的に表れています。この創造の第二の記述では、「地にはまだ、野の灌木もなく」、「野の草も生えていなかった」、「主が、地の上に雨を降らせていなかったから… 大地を耕す人もまだいなかった」のです。そこで神は、humus(大地)の塊を人間であるadamアダムadamah 土地から)に形造られます。もう一人の存在がいないと、創造の仕事は続けられないし、成就しません。神は、神の偉大なアイデア(「言葉」)に意図されたことを完成させるために、協力し、共に働く人を必要としている、あるいは望んでいるのです。

創世記2章15節で、神である主は、庭を耕し、維持するために、人・アダム・人間を園に置きました。神はex nihilo(無)から創造し、園に原料を提供しました。アダムは園を耕し、維持することで神の創造のわざ(仕事)を続けます。アダムがこれら必要な仕事に貢献することで、園には神が意図した良い土の実ができるのです。神と園だけでは、神の素晴らしいアイデアを実現するのに十分ではありません。

創世記2章18節で、神はチームメイト、つまり仕事のパートナーを造ることにしました。その後の展開が面白いです。仕事のパートナーを造るために、神は動物と鳥をそれぞれ創造し、それらを人のところに連れてきて名前を付けさせます。ツチブタからシマウマまで、すべての動物に名前をつける権限が与えられていることに注目してください。動物の中には「重荷を背負う動物」や「人間の最良の友」と呼ばれるものもありますが、神がアダムに与えた仕事のための十分なパートナー、真のチームメイトではありません。

そこで神は、アダムのあばら骨の1本を取り出し(創世記2:21)、それを女に造り上げられました。アダムは「これだ!」と歓喜の声を上げて応えました。今度は2人組が神と一緒になって3人組になり、神の壮大なアイデア(logos)を実現するために協力することになりました。

子孫繁栄のためのチームである前に、仕事のためのチームなのです。創世記1章28節の 「生めよ、増えよ」には、性的なアイデンティティと活動が暗示されています。彼らは夫婦であり、女と男は一つの体であり、「裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」のです。しかし、彼らの最初の責任や任務は、共同で耕し、従わせ、共同で支配するために協力することです。

歴史的に見ても、農場(土を耕し、従わせる)からファミリービジネスに至るまで、最も基本的な仕事のチームは家族です。家族のチームは、生活に必要なものを生産し、提供するという共同責任を果たすために共に働きます。これにより、実を結び、地を満たし、他のすべての創造された秩序を支配するという創造の使命が果たされます。

ここから先は、前の節に戻って、そこに暗示されている作業チームを見るのは簡単です。支配権を行使するという創造の命令の中で、人間という被造物には権威が与えられています。これは、神と協力し、神の究極的な権威の下で、動物、鳥、海の生き物、さらにはすべての生き物、そしてそれらの生産性を促進する環境など、その他の被造物に対して神の目的を行使することを意味します。それは、すべての生き物に対して「実り多く、従わせ、支配する」ということを実現するための、共に働き、協力し、忠実な関係です。人間やその他の生き物の生命を維持し、命令を果たすために必要な、神のパートナーシップ、協力する仕事の関係です。

最終的には、神はいわば3人のチームとしてご自身を明らかにするでしょう。父、子、聖霊です。子であるイエスは、受肉と贖いのわざを遂行する際に、「共にいる」ことを選びます。同じパターンに準拠して、初代教会はチームとして広いコミュニティに出て行きます。パウロとバルナバ、パウロとシラス、バルナバとヨハネ・マルコなどです。

神が「これは非常に良い」と言って休息の日を取ることができるのは、人間(夫婦)のチームが創造された後です。出エジプト記20章では、このことが、人間が 「安息日を覚えて」それを 「聖なるもの」とする根拠として使われています。人間も安息日を覚えて聖なるものとし、神の導きに従って、男女共に人間のチームとして休むようにします。

そのためには、どのようにすればよいのか、人間のチームが一緒に考えなければなりません。かつては、日曜日(キリスト教の「安息日」)に働くことを強く制限するために、日曜日の「ブルー法」が制定されていました。社会は、人々に「休息」の日を尊重し、「とても良いことだ」と言い、「もう十分だ」と言うことは言うまでもなく、6日間の共同作業(チーム)で生命を維持するための資源(共同体や家族)を創造主である神に信頼することを学ぶように呼びかけていました。

家族や職場のチームが協力して、この方法を見つけ出す必要があるでしょう。農業の世界では、休息日を設けることで、家族との関係を大切にし、7日目には大地の世話をしてくれる神への信頼を暗に示しています。どちらも、究極の供給者であり、究極の伴侶である神とつながるために制定された方法です。

家族を超えて、仕事に対するこのような理解は、私たちの仕事、私たちのチームの仕事が、他の人の仕事とどのようにつながっているかを見て、考えることを促します。私たちはコミュニティであり、お互いの潜在的な利益のためにお互いにつながっています。様々な意味で、私たちは相互につながったワークチームの集合体であり、コミュニティの中で、神の目的を果たしているのです。それぞれのチームは、全体の幸福や繁栄に貢献しています。個人が最終的には自給自足ではないように、ワークチームも他のワークチームとつながっています。

チームワークは、神が意図する仕事のスタイルです。私たちは人間関係、仕事上の関係、つまり相互扶助のために作られています。完全な人間であるためには、自分に対応する他者と関係を持つ必要があります。仕事とは、神との関係、他者との関係、神のための関係、神とともにある関係です。

LIGHT PROJECTでは、働くクリスチャンが、「信仰と仕事」を統合し、毎日の仕事を通して、職場でイエスの光(Light)を輝かせる(福音を適用する)ことができるように励まし、養うことを目標としています。

このブログを通しても、皆さんの励ましと役に立てれば嬉しいです。

翻訳:後藤スティーブン

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