Redeemer City to Cityのポッドキャスト「How to Reach the West Again(欧米世界に再び届くには)」で行われた、ミッシー・ウォレス氏へのインタビューからの抜粋で、許可を得て掲載しています。
シリーズ:6 捕囚の地で、その地のために働く
BJO:もうひとつ、ミッシーさんが言われていたことで助けになるのは、仕事は堕落の結果ではないということです。封建的な労働や不当な労働などは堕落の結果かもしれませんが、労働はそもそも人に常に期待されていたものです。エレミヤ書29章に登場するダニエルとその友人たちは、亡命中にも家を建て、庭を作り、地域社会に参加するように命じられています。神の民が繁栄し、他の人々が繁栄するのを助けようとするのを見る限り、仕事は常にそういった繁栄の鍵であるという側面がありますね。私たちはダニエルたちの状況を霊的に美化する傾向がありますが、実際のところ彼らは自分自身と周囲の人々の生活をより良くするために働いているんです。
MW:それはとても興味深いですね。私の教会の牧師がエレミヤ書29章7節「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから」について話していたことを思い出しました。つまりこれは「私はあなたをタリバンと一緒に暮らすように送った」と言うようなものだと、かなり強いたとえですけれど、そう説明していました。「タリバンの福祉を求めに行け 」と言っているようなものだと。神がバビロニアで弟子たちに求めたように、周囲の人々がどういう信仰かに関わらず、自分のいる町の福祉を求めることについて、私たちは学ぶべきことがたくさんあると思うのです。
もし私たちが、キリスト教に基づいた世界に住んでいると思い込むのではなく、逆に捕囚の地にいるように生活してみたらどうでしょうか。
それは実際のところどう見えるんでしょうね。以前弟子訓練に関して読んだ優れた記事で、皆がキリスト教的価値観をもっていると仮定するのではなく、自分が部外者だと仮定したらどのように見えるかと言っていました。私たちの前提は、隣人が道徳的に受け入れられないことをしているなら、もてなしたり関係を築く前にそれを非難する必要があるとして行動しています。なぜなら彼らはその文脈では「見知らぬ人(部外者)」だからです。だったら私たちのほうが、キリスト教を土台とした世界に生きているというのではなく、捕囚の地に暮らすという前提で暮らしはじめたらどうなるかなと思うんです。
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このブログの英語原典は、”A Holistic Understanding of Creative Goodness in the Workplace”
ミッシー・ウォレス氏は、Redeemer City to Cityのグローバル戦略サービス担当ディレクター。それ以前は、Nashville Institute for Faith and Work (NIFW)の創設者兼エグゼクティブ・ディレクターを務めた。ヴァンダービルト大学で経済学の学士号を、ノースウェスタン大学JLケロッグ経営大学院でMBAを取得。
LIGHT PROJECTでは、働くクリスチャンが、「信仰と仕事」を統合して、毎日の仕事を通して、職場でイエスの光(Light)を輝かせることができるように励まし、養うことを目標としています。
このブログを通しても、皆さんの励ましと役に立てれば嬉しいです。
翻訳:廣橋麻子(City to City Japan)