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ルターがいなければバッハもいなかった:2

このブルグは、City to City Japan(CTCJ)がGospel Coalitionからの許可を得て翻訳転載し、CTCJのパートナーとして許可を得て掲載しています。


愛は愛の業(仕事)によって育まれる

ルターは、信仰と日常生活を結びつけたいと考えました。どんなに平凡な生活をしていても私たちは皆、祭司なのです。彼はこう言います。

教皇、司教、司祭、修道士が「霊的身分」と呼ばれ、王侯、領主、職人、農民が「世俗的身分」と呼ばれてしまうのは全くの虚構であって、まさに欺瞞と偽善の塊だ。すべてのキリスト教徒は真に霊的な地位にあり、彼らの間にあるのはただ職業が違っているという事実だけだ。. . . 聖ペテロが言うように、私たちは皆、洗礼によって祭司として聖別されたのである。黙示録では、"あなた(神)は私たちをあなたの血によって王とし、祭司とされた"(黙示録 5:9-10)とある。

つまり、「召命」には宗教的な仕事だけでなく、非宗教的な仕事、つまり家事、市民活動、普通の仕事も含まれるのである。キリスト教的な仕事とは仕事の種類ではなく、それを行う人の信仰である。

またルターはこうも書いています。

修道士や司祭の働きは、それがいかに神聖で困難なものであっても、神の目には、畑で働く素朴な労働者や家事をする女性の働きと少しも変わるところはない

そのような信仰は、日々の働きによって証明されると彼は信じていました。ルターは、ヴィッテンベルクのオールセインツ教会の扉に「愛は愛の業によって育つ」と掲げました(『テーゼ』44)。ルターにとって、仕事は隣人を愛するための最良の方法の一つだったのです。ティム・ケラーはそれを以下のように要約しています。

仕事をする時の私たちは、ルター派の伝統に立つ人々がよく言うように、「神の指」であり、他者に対する神の摂理による愛の代理人なのである。この理解は、仕事の目的を生活のためから隣人を愛することへと高めてくれる

さまざまな種類の仕事

ジョン・カルヴァンやアブラハム・カイパーのような伝統的カルヴァン主義の立場は労働に対する理解をさらに深めました。仕事は隣人を愛するための手段だけでなく、神を愛し、神を讃えるための手段でもあるのだと。創造、堕落、贖い、回復という聖書の物語の流れから見ると、すべてのクリスチャンは創造していき、そして、神の創造の秩序に対する驚きを感動をもって伝えていく使命をもっているのです。ケラーはそれをこう説明しています。

しかし、キリスト教は人間の本性、そして何が人間を繁栄させるかについて、非常に具体的な教えを与えている。忠実な仕事とは、キリスト教の「世界観」に基づいて行うことだ

つまり、信仰から私たちが学ぶのは、単に隣人にどう接するかだけでなく、仕事そのものにどう接するかでもあるのです。信仰によって神に仕事を捧げ、神ご自身を愛し、讃えることができます(コリント3:23)。例えば、弁護士業は、単に隣人を愛するための手段だけではなく、私たちのコミュニティーにおける聖書的な正義を促すための働きでもあるのです。神は弁護士だけでなく、法そのものについても関心があるからです( 箴言8:15; 11:1)。

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このブログの英語原典:Without Luther, There Would Be No Bach

著者: ベサニー・L・ジェンキンス(Bethany Jenkins)は、ベリタスフォーラムのメディア担当副社長、Gospel Coalitionの寄稿者、キングスカレッジのシニアフェロー。その前は、国会、国務省、ウォール街、大手法律事務所に勤務。ベイラー大学で学士号を、コロンビア大学法科大学院で法学博士号を取得。リディーマー長老教会会員。

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