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仕事の神学シリーズ:II-10

このブログは、Nashville Institute for Faith and Work (NIFW)より許可を得て掲載しています。


受肉が日々の仕事を変える3つの方法

Cameron Presson著

作家ティシュ・ハリソン・ウォーレンは、その心を打つ著書『Prayer in the Night(夜の祈り)』の中で、受肉についてこう書いています:「光は暗闇に入って来られ、普通の仕事をされた。」イエスが生涯の大半を大工の仕事に費やされたことを振り返りながら、ウォーレンがここで私たちに示しているのは、クリスマスの物語の中で見過ごされがちな次のことです-「神は地上に来られ、働かれた。

私たちの詰め込まれた福音では、よりドラマチックな物語を追求するあまり、奇跡や十字架、空の墓だけを思い出して、この事実を読み飛ばしてしまうことがよくあります。もちろん、キリストの到来は、キリストがゴルゴダで自らを捧げられることにより、私たちの罪の贖いを提供することで頂点に達しました。イエスが十字架で捧げられた犠牲よりも、テーブルを作ることの方が重要だと主張する人はいないでしょう。

しかしながら、意味のある労働に絶望し、無益さに苛立つ疲れた世界において、クリスマスの現実は、私たちの日々の仕事とどのような関連性があるでしょうか。言い換えれば、2,000年以上も前に貧しい家庭にユダヤ人の子どもが奇跡的に誕生したことは、今日の私たちの仕事生活をどのように変えるのでしょうか。

受肉は私たちの仕事に尊厳を与える

パウロは、キリストのへりくだりについての美しい一節の中で、ピリピ人への手紙 2章6-7節にこう書いています:「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」 ウォーレンが書いているように、「神の御子としての地位を他人の働きに合わせるよう操作するのではなく、『神が肉体を持たれ、家具を造られた』」のです。

仕事とは必要悪であり、ある人の仕事は評価され、他の人の仕事は否定されるという職業ヒエラルキーを規定する世界において、イエスは受肉において、地上に来てテーブルを作ることによって、このような考えを否定されたのです。

聖書の読み手はしばしば、なぜイエスはもっと早く宣教を始めなかったのかと思うかもしれません。しかし、神がイエスを後の宣教のために整えるのにふさわしいと考えられたのは、部分的には、イエスの大工としての肉体労働であったという事実を、聖書は証しているようです。ジョーダン・レイナーが書いているように、「仕事は、聖書の神が見下されるものではない」のです。

受肉は私たちの仕事に目的を与える 

キリストが地上に来られ、手を汚して仕事をされたからこそ、私たちの仕事に尊厳があるのだとすれば、受肉は私たちの労働にどのような目的意識を与えるでしょうか。このテーマについて論文を書くこともできるでしょうが、私はその答えをこうまとめたいと思います- 神はあまりにも世を愛されたので、世に入られたのだと。

福音書の至るところで、イエスはしばしばこの言葉を繰り返しておられます: 「神の国は近づいた」(マルコ1:15)。神の御子であるキリストの誕生は、この地上に神の国をスタートさせました。復活の反対側に生きる私たちは今、キリストにおいて神の国が到来した中間点、すなわち「既に、しかしまだ」の状態に生きています。しかし、なお、天国が完全に地上に到来するキリストの再臨を待っているのです。

このことが私たちの日々の仕事にとって意味するのは、キリストの受肉が今の世の価値を完全に肯定すると同時に、来るべき世界の道しるべとなるということです。もし神が私たちの住むこの物理的世界を大切に思っておられるなら、私たちの仕事は、混沌と無秩序から美と秩序を創造する上で、その世界を管理する重要な方法なのです。神が新しい天と地を完全に導き入れるために再び来られるわけですから、私たちが今している仕事は永遠に続くのです。

N.T.ライトが雄弁に語っているように、「現在、あなたが自分の身体を使って何をするかが重要なのは、神がその身体に偉大な未来を用意しておられるからです......絵を描き、説教し、歌い、裁縫し、祈り、教え、病院を建て、井戸を掘り、正義のために運動し、詩を書き、困窮している人々を気遣い、隣人を自分のように愛することによって、あなたが現在していることは、神の未来まで続く」のです。キリストの受肉は、神の国が目前に迫っていることを意味しているのです。

受肉は、私たちが神とともに働くことを意味する 

ヘブル人への手紙4章15節で、著者はこう書いています:「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」神に愛された息子・娘であるあなたがたの大祭司が地上に来られ、日々の労働の泥沼に足を踏み入れ、あなたがたのように労働の労苦と闘われたのです。

イエスのこのへりくだりこそが、私たちがイエスご自身の人間性につながることを可能にしているのです。顧客とのもめごと、サプライチェーンの遅れ、ふらつく足など、イエスはあなたの弱さに共感してくださることを知って、慰めを受けてください。

とはいえ、私たちはキリストの昇天後も生きています。ヨハネの福音書14章で、イエスは当惑する弟子たちに、自分は間もなく父のもとに旅立つが、聖霊を遣わすと説明しておられます: 「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。」

キリストがこの世に来られ、メシアとして生き、罪人の死を遂げ、よみがえられ、御父の右に昇られたがゆえに、聖霊は今、イエスに従う者たちの内に住んでおられます。このことが私たちの仕事にとって意味するのは、私たちは神のために働くだけでなく、神とともに働くということです。

自分の仕事の中で、神がどのように自分の内に宿っておられるのか、立ち止まって考えたことがあるでしょうか。文化的には、私たちは自分たちの力で物事を成し遂げようとする「自力本願」の考え方を信奉していますが、聖書は、私たちの仕事を、神がこの世で行っておられることにおいて、神と協力する方法として捉えるように私たちを招いています。歯を食いしばって自力でやり遂げる代わりに、聖霊の臨在を通して、私たちの仕事に平安と知恵が与えられるよう、神は私たちを招いておられるのです。

あなたの労苦は無駄ではない 

ザ・ポーターズ・ゲートの「Your Labor is Not in Vain(あなたの労苦は無駄ではない)」という曲の3番目の節で、歌詞はこう宣言している:

「あなたが植えたぶどう畑は実を結び

畑は歌い出し、真実とともに喜ぶだろう、

古いものはすべて新しくなる:

あなたが植えたブドウ畑は実を結ぶ"。」

そして、次のように繰り返します:

「わたしはあなたとともにいる。

わたしはあなたとともにいる。

わたしはあなたとともにいる、

わたしがあなたを呼んだから。

あなたの労苦は無駄ではない」

このアドベントの季節、ウォーレンが思い起こさせてくれているように、「神はこの労苦の世界に入り、良い仕事をされた 」と励まされましょう。クリスマスは、私たちの仕事には消えない尊厳と信じられないほどの重要性があり、神とともに行われることであるということを意味します。親愛なるクリスチャンの皆さん、あなたの労苦は決して無駄ではありません。家具を造り、世を贖うためにこの地上に来られたメシアを共に喜びましょう。

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このブログの英語原典:https://www.nifw.org/blog/how-the-incarnation-changes-work

NIFWは、米国の信仰と仕事の機関の一つで、ナッシュビルに住むクリスチャンが、自分たちの日々の仕事が、人や場所、物事に命を与え、愛するというイエスの使命にいかに不可欠であるかを発見できるよう、力を尽くしています。

LIGHT PROJECTでは、働くクリスチャンが、「信仰と仕事」を統合して、毎日の仕事を通して、職場でイエスの光(Light)を輝かせることができるように励まし、養うことを目標としています。

このブログを通しても、皆さんの励ましと役に立てれば嬉しいです。